映画、映画、映画

いちにちいっぽんえいがをみてなにかをかく(多分できない)ネタバレはあり。そうは言ってもただただ筋書きとか書いていったり細かく解説してとかそういうものではない。観た後に忘れないうちに急いで書くので誤字脱字はたいへん多い。近頃、寝る時間の関係上、映画が見れないこともある。

「台北ストーリー」

 

 監督:エドワード・ヤン

 1985年

 

 静謐な筆致と空気を捉えた映像に、台北の都市が描き出される。そして、登場人物たちが、ビルの屋上から都市を眺める。若い女の子が、向こうからこちらは見えないと言う。

 スクリーンの中に留められた台北の都市やそれが持つ空気、そして、人間たち。我々は、男女の関係を通してそれを見ることができる。もちろん、彼らに気づかれることなく。

 一貫して、緩やかに、そして、静かに描かれる世界は、どこを切り取っても同じ温度に感じられる。そんな世界には、どうしようもなく苦しい生活や人々の愚かしさが溢れている。全てが我々の前に平等にたちあらわれ、まるで我々がどこかから覗き見でもしているかのような感覚を生み出す。

 退屈に感じてしまう原因があるとすれば、こういうところにあるのかもしれない。しかし、起きていることは決して退屈なことではなく、物語に映像がいかに影響を持つかを教えられる。

 この映画は、文芸映画として非常に質の良い奥深さを持つように思える。それは、描かれた都市そのものの奥深さであり、全てに同じような熱量を与えることで我々はそれに気づくことになる。

 

 誰かの頼みが断れない男。女の嫌いな父親に似てきた男。そして、嘘をつく男。

 危うい関係は、もしかすると女の愛されたいと思う気持ちで綱渡りを続けてきたに過ぎなかったのかも知れない。彼女は、愛のない家庭に育った。きっと孤独だったに違いない。そんな彼女を愛してくれた男、少しくらい我慢したって離れたくないと思うのは、必然だろう。

 もしかすると、全部おままごとのようなものだったのかも知れない。お互いにそれに気づいた上で、恋人を演じていたのかも知れない。我々は、そんな彼らの関係を見て悲しい結末を感じずにはいられない。運命とも言うべき結末へと進む物語なのだろう。若者たちの危うい自由や、男の友人のどん底、女の父親の無力感。それらが、物語をより複雑なものへと彩を加える。

 

 

 

                     

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