映画、映画、映画

いちにちいっぽんえいがをみてなにかをかく(多分できない)ネタバレはあり。そうは言ってもただただ筋書きとか書いていったり細かく解説してとかそういうものではない。観た後に忘れないうちに急いで書くので誤字脱字はたいへん多い。近頃、寝る時間の関係上、映画が見れないこともある。

「ダンケルク」

 

 監督:クリストファー・ノーラン

 2017年

 

 ダンケルクの戦いと聞いて、あああれかと思ったのは、アメリカの映画「ミニヴァー夫人」のシーンだった。この映画はダンケルクの戦いから2年後である1942年に公開され、文芸映画として、またプロパガンダ映画として広く受け入れられた。この戦いがいかに英国、そして米国で重要なものであったかは想像に難くない。

 

 この映画は、スピットファイア機、一般のボート、そして撤退する兵という3つの視点から描かれる。そして映画の始めには、それぞれがダンケルクイングランドとの間を移動するのにかかる時間が提示される。そこでは、船で1日、飛行機で半日、そしてダンケルクの桟橋からは数日と、彼らの置かれた絶望的な状況を伝える。そしてそれだけでなく、映画が終盤のある一点に時間の基準を持ってきていることを説明することにもなるのだ。

 この映画は、それぞれの視点、シーンが同じ時間で描かれているわけではない。例えば、帰還する兵の視点では夜であっても、戦闘機パイロットの視点からすれば昼間なのである。それは、この「ダンケルク」という映画のの決定的な瞬間、メーンで描かれる主人公が助かった瞬間に初めて一致する。

 この演出は非常に効果が高かった。それは、別の視点を描くことで未来(その視点では現在)を描くとこで、我々にサスペンスを提示して見せた。彼らの過酷な運命を先に描き、不吉な未来へと向かって進んでゆく主人公たちの間違った選択とも見える現在を危ういものとした。それには緊張感と好奇心を覚える。それは、構造的な説得力もあってか、自然に受け入れられた。例えば、これを無理に行おうとすると、緊張感の演出のためだけに作られた視点を使うことになり、表面的で陳腐な演出に頼らざるを得ない。しかし、この映画ではそれを斬新とも言える発想で巧みに描いて見せた。

 では、これは戦争映画史に残る傑作かと問われれば疑問を抱かずにはいられない。お金のかかった、臨場感のある映像、素晴らしい構造は見事と言わざるを得ない。だが、そういった要素を取り除いた時に残る、純粋な物語自体はどうだろうか?

 私はその点に関して、あまり肯定的な印象は受けなかった。救出に向かう船で息を引き取った若者のとってつけたような最後の言葉、燃料切れになりながらもメッサーシュミットを一機撃墜するスピットファイア、水上にランディングしたパイロットの危機と救出など、お粗末とも言えるようなエンターテインメントが点在している。緊張感のための露骨なシーンに説得力はなく、そんな意思が伺えて興ざめを起こしてしまう。幕の内側を覗いてしまったような気分にさせる演出は失敗と言わざるを得ない。惜しいの一言である。

 

 数多くの死にゆく若者たちを見て、良い戦争映画は悪い戦争を描くものだと思った。