映画、映画、映画

いちにちいっぽんえいがをみてなにかをかく(多分できない)ネタバレはあり。そうは言ってもただただ筋書きとか書いていったり細かく解説してとかそういうものではない。観た後に忘れないうちに急いで書くので誤字脱字はたいへん多い。近頃、寝る時間の関係上、映画が見れないこともある。

「カフェ・ソサエティ」

 

 監督:ウディ・アレン

 2016年

 

 埋没した黄金の都市を眺めるように、我々は古きハリウッドを見つめる。映画史にその名を残す名優たちを中心に、巨匠と言われる映画監督や脚本家、そして、優れた大作を世に送り出し続ける映画会社。

 スウィングする古いスタイルのジャズに乗って、男女は揺れ動く。実にウディ・アレンらしさが出ている映画だ。たとえ誰が作ったか事前に知らなくとも、ファンならばきっと言い当てることできるだろう。 冴えない男がなぜか美女とくっつくところなんて、まさにそうだと言える。そして、非ハリウッド的な型にはまらない恋愛映画の形もまた、ウディ・アレンらしさでもあろう。

 この映画は、栄華を誇るアメリカの上流社会の中で揺れ動く二人の若い男女を中心に物語が進む。それは、コメディ的なところもあれば、悲劇的とも言える。恋愛のあり方、そのものを描く、そのやり方はウディ・アレンの十八番だろう。(私は、それが彼のプライヴェートでの異性関係の自己弁護的な部分の表れではないかと思うことがある)

 一つのラヴソングの終わりに、二人は新年を迎える。このエンディングのために進められた二人の如何しようも無い愛は、理性的な終わりを迎え、ある人間の人生の瞬間を追体験しているかのような気持ちになる。これは映画が過去を顧みる形で進められること、そしてハリウッドのあの頃という背景によって呼び起こされるのかもしれない。

 

 この映画では、1930年のアメリカを舞台にしている。この頃といえば、大恐慌の時代から世界大戦へと向かう、貧困と不幸の影を持った時代でもある。映画スターや政治家が裕福で余裕のある生活を送る一方で、仕事にあぶれた飲んだくれがいて、人種差別が強くあった。

 「山猫」という映画について書いたことがあるが、まさに彼らがアメリカ社会における貴族だったのだろう。誰もがどこかで憧れ、一度味わうと抜け出せなくなる豊かさの魅力は、主人公二人が別れる過程で描かれる。

 

 テクニカラーの世界を、デジタル映画で撮影したこの作品には妙な違和感がある。それは過去を生きた世界として、カメラが捉えたからなのか。私の持つ、変わった感性か。