それらしくなく、それっぽく

映画やドラマのネタバレがいっぱいある。誤字脱字もいっぱいある。

「ストリート・オブ・ファイヤー」

 

 監督:ウォルター・ヒル

 1984

 

 これは、限りなくポップミュージック寄りのロックミュージックだ。そして、またこの映画は、作られるべくして作られたB級映画とも言えるかもしれない。

 例えば、「ジーザス・クライスト・スーパースター」、「ファントム・オブ・パラダイス」や「ロッキー・ホラー・(ピクチャー・)ショウ」が同様にロックやファンクなどのポピュラーミュージックを扱ったミュージカル映画に当たる。そして、本作はその系譜にある作品なのだ。

 ロックミュージックやカウンターカルチャーが持っていたそれまでの既成の文化に対する態度は、映画においては、往々にしてこうしたいわゆるカルト映画という形で現れる。例えば、「ファントム・オブ・パラダイス」ではファントムオブジオペラなどのミュージカルへのオマージュがあり、「ロッキー・ホラー・ショウ」では、それまであったSF映画や恋愛映画のあり方に見事に脱構築とも言えるような変化を加えた。今作もまた、ハリウッド的物語に一種の冗談めいた態度をとっている。

 物語はまるでクリント・イーストウッド主演の西部劇のような体裁をとる。どこかから現れた素性のしれない男が女を救い、最後に敵の親玉と一対一で戦う。主人公の冷めた態度や、戦いの腕はまさにそうだと言える。

 しかし、舞台は退廃的なロックンロールの街であり、そこには80年代当時の特徴的な空気が流れている。それだけではなく、特徴的なキャラクターやそのファションがどうにも夢の世界のような印象を与える。そこには、よくある物語を持った滅多にない映画があるのだ。

 

 80年代はそれまで続いてきたロックミュージックにとって受難の年だったと言える。プログレッシヴロックを例にとってみても、ピンクフロイドのアルバム「ザ・ウォール」の持つそれまでにないロックらしいキャッチーなテイストや、イエスの「ロンリー・ハート90125」、キングクリムゾンのジャズからの乖離、ジェネシスのポップ化、プログレッシヴロックの名プレイヤーを集めて始めたエイジアという限りなくポップ寄りなバンド。これだけ見ても、商業的な成功のためにどれだけの変化が求められていたのかが想像に難くないだろう。それはハードロックと言われるジャンルにおいても変わらない。

 それではロックはどうなってしまっていたのか。それはこの映画にも、少し見て取れるのかもしれない。ネオ・ロカビリーの台頭やロックのポップ化がギャングと善良な市民の対比に見てとれる。実際そんな対立があったかは置いておいて、そこにはロックミュージックの黄金時代の後継争いという複雑な背景があった。

 1970年代への変わり目に、ビートルズが最後のアルバム「アビー・ロード」を発表し

、キングクリムゾンが「クリムゾン・キングの宮殿」を発表する。1960年代後半から生まれた新たな潮流。ヒッピー文化と結びついたサイケデリックな音楽や、ビートジェネレーションに後押しされたドアーズやボブディランが隆盛を迎え、それが融合してゆくのが70年代だったのかもしれない。それまであった、生真面目な音楽はどこかへ行ってしまい狂乱の時代を迎えることとなる。ブルースに裏ずけされたギタープレイやひずみの強い音色は、それが衰退するまでずっと続き、いまでもその影響は大きい。観客はLSDに酔う客は踊り狂い、大きな声を上げる。

 80年代というのはそんな時代の終わりでもあった。ベトナム戦争が過去のものとなり、人々は元の真面目な生活を再び送ろうとする。

 ただ、過去の残していったものは、想像以上に重く。多くの人間が時代の取り残された。また、若い世代の中にはそんな新たな時代に適応できないでいるものもいた。そこでポピュラーミュージックは様々な聴衆によって多くの分岐を得るのであった。