それらしくなく、それっぽく

映画やドラマのネタバレがいっぱいある。誤字脱字もいっぱいある。

「ロスト・チルドレン」

 

 監督:ジャン=ピエール・ジュネ

 1995年

 

 この映画は、「デリカテッセン」、「アメリ」の監督で知られるジャン=ピエール・ジュネ監督の長編2作目に当たる。「デリカテッセン」という映画で表現された、荒廃したディストピアはこの映画でもまた能く描かれている。さらには、「ロング・エンゲージメント」といったよりリアリスティックな作品においても見られる、物へのフェティシズムは強烈にそして最も大掛かりに描かれる。

 

 映画を見るときに人は、意識高い系とか教養主義的などという言葉を使ったり、芸術性が高いなんて言葉を使ったりすることがある。すると一方には、お馬鹿なとか、大衆的ななんて言葉がある。しかし、このような分類は間違っていることがこの作品で知ることができる。そうした一見相反するものは同時に存在でき、かつ、それを満たした映画はしばしば名作として、高く評価される。これは忘れがちなことだが、実に基本的なことだ。

 映画というのは大衆向けのものでそれが高度な芸術性を持つことはないとか、映画には絵画や音楽のように優れた手本がなく、古典が成立し得ないとか、そんなことがあるかもしれない。しかし、この映画は、あくまでも映画の伝統に則り、また現代の技術を存分に駆使した新しい作品でもあり、世界観の表現は極めて完成度も高く、物語もエンターテインメント性に富む。

 この映画は、ジョルジュ・メリエスの流れを汲む、全てが作り物で仕掛けだらけの映画である。そして、またサーカスやフリークといった見世物、つまり近代における大衆娯楽の要素を持つ。これらの映画の持つ歴史的な背景を鑑みて、ある意味では古典主義なんて言い方もできるのかもしれない。日本では寺山修司なんかか似たことをやっている。

 それでも、この映画が古臭く時代遅れに見えないのは、このエンターテインメントによるものであり、物語の純粋な面白さと登場する人物や物によって生み出される世界そのものの力である。

 少女が勇敢な男とともに、誘拐された弟を探し出すというテーマは、例えば「ラビリンス /魔王の迷宮」(1986)や「バロン」(1989)といった映画に共通点が見出せる。おとぎ話としての肝を掴んだものとも言えるものとなっている。そこには数々の困難とその解決、悪い敵と正義の心との戦いがある。

 しかし、これが子供向け映画ではないのはその世界に要因がある。工業的でグロテスクな風景は、もしかすると大人には住み心地の良い街に見えるのかもしれないが、この映画の登場人物の視点ではやはり汚く、冷たい印象を受ける。おかしな宗教者たちやフリークたちは、都市そのものを表しているようだ。

 ここには、映画=機械の目という構図がある。それは映画がどういうものか、例えば見せようとするものを意図的に切り取った、映画の中では禁欲と結びつけられはしたが、現実では真逆の映画の特性が語られているのかもしれない。