それらしくなく、それっぽく

映画やドラマのネタバレがいっぱいある。誤字脱字もいっぱいある。

「ゼロ・ダーク・サーティ」

 

 監督:キャスリン・ビグロー

 2012年

 

 歴史的なイベントをうまくエンターテインメントへと落とし込み、かつ、真摯に事件と向き合う態度は「ハートロッカー」にも見られる要素だろう。ただ、政治的にフレッシュな事件を描くときはやはり、その事件について個人の意見を持つ人が多く、時にそれは大きなバッシングにつながるという恐怖がつきまとう。

 この国でも、ある事件に対するとある人の姿勢を見て、やれ反日だとかやれ軍国主義だとかと非難することは多い。この映画にも、例えば捕虜への拷問などを通してオバマ政権の表面的な態度を暗に批判していると思われる描写がある。こうしたスタンスを見て多くの人が批判をしたに違いないし、多くの心ない言葉もあったに違いない。しかしそれでも、この事件が風化してしまう前にちゃんとした映画にするという強い意思がそこにはある。それは、大変勇気のいる行動だったろうし、主人公の女性の強さにもつながるところがある。

 最後に彼女が流す涙。それまで大きな敵と戦ってきた彼女の、安堵の涙か。殺害されたビンラディンを見て、そして、国へ帰ることになった時、きっと彼女は今までやってきたことの恐ろしさを実感したのかも知れない。それは、冷徹な女からひとりの人間へと戻った瞬間でもあったに違いない。

 これは、拷問官としての彼女が、それまでいた日常へと戻る物語なのかも知れない。友達もなく、恋人もいない冷徹と言われた女。一時は拷問官として、捕虜への暴力を命じることもあった。そんな彼女は、同僚であり友人であった女性の死によって、心的に少し距離のあったアルカイダが、実際的な復讐心の対象となる。そして、ついにビンラディン殺害を個人的に命じることとなる。その時の彼女は、あくまでも拷問官としての彼女だったに違いない。しかし、実際に復讐が達成されると彼女に取り付いていた何かが消えてしまう。そうしてひとりの人間として涙を流すのだ。

 そして、もうひとつ印象的な表情があった。ファレス・ファレス演じるCIA現地職員がビンラディンの遺体を見てからの表情は一体何を物語っているのだろうか。

 このCIA職員は、アメリカに協力するまでにもしかするとアルカイダによって家族が殺された過去を持っているのかも知れない。彼もまた、強い復讐心を持っていたに違いない。しかし、死体を見て彼が喜ぶことはなかった。それは、彼にとって死体が死んだ同胞との何も違わないことに気づいたからかも知れない。もしくは、あれだけの勢力を誇る組織のリーダーだった死体への哀れみなのかも知れない。しかし、喜ぶ海兵隊と対象的に描かれた彼の表情は、もっと深い何かがあるように思えた。

 1945年、ミラノ近郊である男が処刑された。ベニート・ムッソリーニである。ファシスト党を率いイタリアを統治した男は、その最後にパルチザンによって殺害されその死体は辱められた。彼は裁判にかけられることなく、略式処刑されたのだった。

 私はこの映画に描かれたビンラディンの殺害は、いわば処刑だったように思う。生きて捕獲することが出来なかった事情があったのかも知れないが、そこには復讐心や政治て、宗教的な違いから生まれる熱狂的な処刑があったのかも知れない。少なくともこの映画の中では、そう描かれる。彼の表情は、そんな非理性的な部分を暗に示しているのではないかと思う。それも批判的な目で。